長年生きていると様々な交友関係が生まれ、なかには、大成功を収める人も出てきます。
そして、突如として階段を外される人も。
ここ1カ月の間に、友人知人のうち2人もの顔をテレビのトップニュースで見かけ、胸騒ぎが止まりませんでした。
今でも何かにつけ思い出します。
ひとりは、20年来の友人で、もうひとりは、かなり昔に嫌な思いをさせられた人です。
こんな形で世間に顔を知られるようになるとは、きっと彼らも思っていなかったと思います。
そう。ふたりとも男性です。
わたしが事件の真相を知っているとか、無実の罪を晴らしたいとかそういうことではなくて、たんに私がどう感じたかをお伝えしたいと思います🍎
世界的な成功を収めた彼
まず、大学時代からの友人の話です。
間違いなく彼は、わたしの数多くいる知り合いの中でも断トツトップで成功を収めた人です。
国内にとどまらず、世界で成功しています。
20代の時にシリコンバレーで起業し、株式上場を果たしました。
若い時から一図で真面目で、俗世間とは一線を画した人だったので、ストイックに、そして野心的に成功を収めたのもすんなりと理解できます。
徐々に成功していった過程を見ているので、「なるほどな~」と長い時間をかけて「すごい人だ」と納得できたのかもしれない。
だって、二十歳そこそこの時に一緒にご飯食べたりしていた人が、CEOになって、社員何百人も抱えて、上場して・・なんてこと、想像するのは難しい。
お金の価値が雲泥の差になっていることは、一緒に出掛ければわかります。
うらやましいのを通り越して、驚かされることしばしばです。
わたしも大成功を収めたクチであったならば、同志としてわかりあえるのかもしれないけど、かたや私は1000円の節約に精を出す人間ですから。
その彼と大人になって知り合ったのであれば、気後れしてしまって仲良くなんてなれなかったと思います。
でも、彼が無名の時代から知っており、悩みながら会社を大きくしていった過程を見ているので、嫉妬の気持ちがゼロと言ったらウソになりますが、応援する気持ちの方がいっぱいあります。
「世界が選ぶ日本人」特集に彼が載っていた時も友人として誇らしく、心から良かったね~と思いました。←本人に嬉しそうに見せられた
「雲の上の人になっちゃった」という淋しい気持ちと「こんなにすごい人が私の友人だ」という誇らしい気持ちが混ざる感じ、わかりますか?
凡人が煩悩に浮かれて過ごす時間を排除して、ただひたすらに研究開発してきた人なので、成功して当然だと思います。
夕方7時に待ち合わせして私とご飯を食べに行った時も、9時に別れたらそのまま会社へ戻って睡魔ギリギリまで仕事をする。と言っていましたし。
お酒なんて、はなから飲みません!
日々、人間が最低限必要とする睡眠時間以外は、ずっと仕事をしているような人です。
仕事をしている時が一番充実していると本人が言っていました。
学生時代に「僕は多くの人の人生を変えるような、人のためになる仕事がしたいんだ」と言っていたのを記憶しています。
未来を夢見る若者に、よく有りがちなセリフですけど、それを有言実行できる人は少ない。
彼と同じくらいがんばったからと言って、皆がみんな成功するとは限らないわけで、世の中なんとも言えないモヤモヤもありますが・・・能力・資金・運のすべてを味方につけることができた、稀有な人なのでしょう。
そんな人が、逮捕されました。しかも、東京地検に。
わたしが仕事でプリンスホテルに泊まると言った時、「そんなホテルでは僕は寝られませんね。」と言っていて、高級ホテルにしか宿泊したことが無いような人が留置場。
はかりしれない打撃だと思います。
知人の弁護士は、東京地検が動く時は「間違いなくクロの時だけ」と悲しいコメントをのたまっております。
数十億もの助成金を国から不正受給した罪です。
女遊びやギャンブルになど見向きもしない彼ですから、手にしたお金の遣い道が研究費であったことは100%断言できます。
私は、正規の手続きを踏んで助成金を申請したと考えていたのに、いきなり「不正」と言われとまどっているのではないかとさえ思っています。
もしかすると、業界のしきたりにのっとって行なった行為なのかもしれません。
次元が違うかもしれませんが、「仕事をとるために取引先の人を銀座のクラブに招いて接待する」とか当たり前にやっている会社は多いはず。
ゴルフクラブや車の購入資金を経費として落としている自営業者もたくさん知っています。
もしくは、「仕事をとるためにディレクターと寝る」
タレントやレースクイーンで枕営業をしている人は、わたしの周りにごまんといました。
むしろ、それが出来ないのは、やる気が足りないからだとさえ取られかねない雰囲気があったくらいです。
業界ごとに特有の「当たり前」が存在し、世間では非常識であっても業界的には「OK」であったり・・・。
本来は法律違反だけど、このくらいは黙認されるのが通例ってこと、よくあります。大人だったら誰でも知っている世の常。
清廉潔白にやっていきたくても、そんな事を主張していたら仕事にならないって世界があるわけです。
そんな空気感のなかで、まさか捕まるとは思いもせずに行った行為なのではないかと個人的には推測しています。が、真相はわかりません。
白か黒かは抜きにして。
善か悪かも抜きにして。
ただただ、彼の心情を察して友人としてやり切れない気持ちになります。
不倫疑惑の国会議員
文春のスキャンダルで顔と名前をすっぱ抜かれた代議士。
不倫騒動の渦中にいても悪びれないすごい人です。
いい大人になっても小娘をホテルに無理やり連れ込もうとして人生を狂わせようとしています。
正直言って、「あぁ、15年間もの間、この人はずっとこんなことを続けてきたんだなぁ」と呆れました。
なぜなら、彼が代議士に昇り詰める前、都議会議員の頃にわたしも同じような誘いを受けていたから。
もちろん「はぁ?」と一笑しましたが、彼はしつこい、しつこい。
仕事で会うたびにエロエロエロ~~~とくっついてきますので、これは病気としか言いようが無いです。
彼は、多くの有権者に選ばれて、期待されてその立場にあるということを自覚すべきであると思います。
うかつな行動が、自分の栄えある地位の基盤を崩すことになるかもしれないとは思わなかったのか、不思議。バカだわ。
彼は仕事に関して頭の良い人だとは思いますが、人間性に問題あり。
「政治家には人間性も必要です」とは、わたしがうぐいす嬢をする時に必ず言うフレーズです。
彼がこのまま代議士を続けられるのか、世の判断を見守ります。
テレビの真実
今回の2件の報道以外にも芸能関係のニュースで、知っている人が出ることがたまにあります。
わたしは芸能人ではありませんが、芸能事務所のアナウンス部門に所属していた時期が長かったので、知り合いはいっぱいいるのです。
テレビを見て思うことは、ニュース原稿は信じられるが、個人的なコメントは信じてはいけないということ。
ワイドショーなんて、全てそう。20%くらいしか信用してはいけないです。
新聞の社会欄は信用できるけど、芸能欄や週刊誌(文春含め)は20%の確信度。
それでも、報道のイメージってこわいですよね、うっかり信用しちゃいますもん。
コメンテーターほどこわい仕事は無いと思います。
あくまでも「わたしは」こう思うと話したのだとしても、それを聞いた人たちが「自分で意見を取捨択一」する能力のある人たちばかりとは限りません。
「そうだよなぁ」
「そうかもしれないなぁ」
一コメンテーターの個人的な意見をさも真実かのように、さも自分の意見かのようにふれまわっているうちに、渦中の人の印象と人生が狂ってしまうのです。
代議士の方はさておき、友人の報道については「まちがい探し」をしたらキリが無いほど、ニュース番組でさえ間違った憶測が飛び交っていました。
報道にたずさわる者は、一般論だとしてもうかつに意見を述べるのは怖い。
わたしも結婚前に朝の報道番組を担当していた時、自分で認識している何倍もの失言があったのだろうな・・・と改めて自戒しました。
もしかすると代議士の先生の件に関しても「奥様とお子さんたちが可哀そうですね」という一般論のコメントを述べているコメンテーターがいましたが、当てはまっていない可能性もありますよね。ゼロではない。
奥様からしたら「大きなお世話。わたしはちっとも気にしていないわ。お金さえ入れてくれればよいのよ。」とかね。
また、こんなことを書くこと自体が無責任なことなのですよね・・・
とにかく、見る側によっても受け取る印象が違って当然なわけで、メディアを通して視点統一を押し付けるのは、非常にこわいことだと痛感します。
諸行無常のひびきあり
平家物語の一説が思い浮かびます。
「奢れるものも久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。」
誰もがうらやむ、成功者の頂点にいるような人も、いえ、頂点にいるからこそ、引きずり降ろされる確率は上がって、いつまた土の上に立たされるのかわかったものではありません。
野心がある人と無い人。
頂点を極める人は、間違いなく野心家だと思います。
そういう人は、何度すべてをもぎ取られようとも復活してくる気がしてなりません。
命さえあれば、下克上の世界でも再スタートは可能。
わたしには無いものを持っている人達のバイタリティに、彼らが今どんな状況であったとしても微かな嫉妬を覚えます。
不謹慎でしょうか・・・
大きく成功して、挫折を味わう人生。
たいして成功もしないけど、安定した人生。
あなたには、わたしには、どちらが向いているでしょう。
いま逆境に立たされている(もしくは、報いを受けている)彼らのことを考え、バイタリティが無ければもっと静かな人生を送れたのにね・・と静観しています。
「才能・資金・運」
そして、野心。
私は、どれを持っていて、何を持っていないのだろうか。